Valentine  2003





  『恋をしよう。愛を贈ろう。あなたのためのバレンタイン』





そんな謳い文句の垂れ幕が街角を埋める。

素行調査からの帰路、通りすがりのギフトショップには若い女の子がたくさんいた。

今日で期限が切れる恋愛なんてないはずなのに、

売る側も買う側もラストスパートをかけている。

周りにはまるでピンクのハートが散らばっているような、そんな空気が漂っている感じ。

ほんの一時だけの甘い空気。



バカみたい。

たかがバレンタインって名前のついた普通の日じゃない。

みんな、菓子屋の戦略にうまく乗せられちゃってさ。



賑やかな集団から目を逸らし、キャッツへと足を向けた。










カラン、コロン…―――





店のドアを開けると、ふわり、とコーヒーのいい匂いがした。



「あら、香さん。いらっしゃい」

「こんにちは、美樹さん」

「いつもの、だな?」



返事をする前にもう、マスターはいつものカップを手にとって磨き始めている。

あたしはカウンターで新聞を読んでいたミックの隣に腰をかけた。



「ハロー、カオリ」

「やっぱりここにいたのね。今日は絶対に顔を出すんじゃないかと思ってたの」

「ひどいなぁ、カオリ。それじゃまるで俺がそれ目当てで来てるみたいじゃないか」

「あら、他に言いようがあって?」

「すっかりお見通しだな、ミック」

「チッ」



ミックが子供みたいに口を尖らせる。

撩もたまにすることがあるけど、オトコの人のそういう仕草って、ほんとに可愛い。

すっかりあたし専用になってしまったカップで冷たかった掌を暖めながら、

いつもの味にそっと口をつけた。

鼻腔を擽る豆の香と、口中に広がる濃厚な味に思わず目を瞑った。



「ところで、冴羽さんはまだ戻ってこないの?」



ドキッ!



頭の中を見透かされているかのようなジャストのタイミングで話題をふられ、

思わず返事に詰まってしまったあたしに視線が集まる。



「なんだ?リョウの奴どうしたんだ?」

「冴子さんに連れ出されたのよ。今頃は東京湾の上」

「は?東京湾?」

「船内の賭博カジノへの潜入捜査ですって」



カジノ? と、ミックが眉根を顰めた。

今年のバレンタインに撩がいない、と知ったのは一昨日の朝のこと。

毎年この時期になると、“チョコくれー”って煩いから、この間依頼料が入った時に

ちゃんと用意しておいたのに。拍子抜けしちゃったわよ。



「カオリは一緒に行かなかったのか?」

「もう一件依頼を受けていたから、今回は別行動」

「あっち、手間取りそうだって言ってたわよね」

「うん。4、5日はかかるだろうって、冴子さんが」

「何もこんな日に、なぁ」

「フン! 弱みを握られるアイツが悪い」



ニヤニヤと笑う二人を、美樹さんが視線でたしなめた。



「いいのよ。煩い奴がいなくてせいせいしてるところ」



あたしがそう言いきると、一瞬だけ店内に気まずい空気が流れ、

しまった! と思った時には、美樹さんたちは困ったように顔を見合わせていた。



「忘れるところだったわ。これ、お約束だけど」



その場を繕うかのように鞄の中から小さなリボンのかかった箱を取り出し、

ミックとマスターの前にそっと置いた。

毎年恒例の、小さな、だけど感謝の気持ちのいっぱい詰まった義理チョコ。



「カオリ。俺のだけでいいのに、こいつの分もあるのか」

「当然でしょ」

「ちぇっ カオリの愛なら何個でもOKなのになぁ」

「かずえさんに言いつけるわよ」

「そ……それだけは……」

「海坊主さん、これ、受け取ってね」

「フ、フン! 折角持ってきたんだ。貰っておこう」

「ファルコンったら。顔真っ赤よ」

「う、うるさい!」



あたしの心のオアシス、キャッツ・アイ。

他愛もないお喋りと笑い声。

いつもの年なら、この場に撩がいないことなんてない。

ミックをはじめ、男性陣に渡す義理チョコをやっかむように喧嘩に加わるアイツ。

家に帰ってから半分義理みたいなチョコを渡すと、ちょっと照れたように笑って……





「香さん?」

「カオリ……」





「ご、ごめ……か、花粉症かな……」



あたしは慌ててバッグを掴み、店を出た。






◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆








自分の為の食事を作り、一人で食べる。

三日目ともなれば慣れてきた。

誰かさんがいないおかげで部屋も汚れない、食費もかからない、ストレスもない。

ないないづくしでいいはずなのに。

シーン……、と妙に静まり返った部屋が何だか居心地が悪い。

それがイヤで無駄にテレビを流し、電気をつけっぱなしにして毎晩リビングで寝ている。

今夜も部屋から掛け布団を引っ張り出してソファに寝転び、

ラストニュースが今年のバレンタイン商戦の売れ筋を紹介しているのをボーっと見ていた。

笑いながらインタビューに答える高校生。

お父さんへのチョコを恥ずかしそうに買う主婦たち。

マイクを向けられた誰も彼もが、幸せそうだ。

レストランで食事をしていたカップルは、これから豪華なホテルに行くと言う。

あたしはここでこうして、冷たい布団に包まっているというのに。

頭まで布団を引き上げ、その端で熱くなっていた目頭をおさえた。




あ〜もう…・・

こんなことくらいで泣くなんて、歳かなぁ。

さっきもアイツのこと思い出しただけであれだもの。

美樹さんたち、ヘンに思っただろうなぁ。


う〜〜〜……

鼻水出そう




布団を被ったまま中から手を伸ばしたけれど、届かない。



あれ?



何度かテーブルの上空を掻いた手が、ようやく柔らかいものに触れた。






「ほい、ティッシュ」






ありがと。



ズ・ビーッ



摘まんだティッシュで勢い良く鼻をかんだところで、はた、と動きが止まった。



「りょ、りょお!?」



慌てて飛び起きると、隣のソファに撩がいた。

出かけたと時と同じ格好で。



「なんで? どうして? 仕事は? 冴子さんは?」

「おいおい、一度に聞くなって」

「だって、撩。帰るのまだ先じゃ……」

「チョコ食いてぇから、さっさと終わらせてきた。ギリギリ間に合ったな」

「バ、バカなこと言ってんじゃないわよっ!」

「ホ〜ントだって」

「あ、あんたの分のチョコなんか買ってないもん」

「そんじゃ、これはいったいな〜んだ?」

「あ!」



撩の右手には、冷蔵庫に入れておいたはずの箱が握られていた。

まったくもう。こういうことは素早いんだから。

そう睨むと撩は苦笑いを浮かべて、それに、とにじり寄ってきた。



「な〜んか、予感がしたんだよな」

「予感……って、何よ」

「お前が泣いているような、予感」

「な、泣いてなんかないわよ」

「んな、意地張るなって」



頬に触れた、ちょっとかさついた手があったかい。





「素直に寂しかったって言えば?」





あ、だめ。



また泣きそう。










時報とともに降りてきたキスは、かすかにチョコの味がした。





<End>







  <あとがき>



   冒頭の謳い文句は、北海道の某チョコ屋の宣伝文句をちょっとパクッてます(笑)

   何か言われたら、そこでチョコ買ったんだからそれで勘弁してくれ、と逃げよう。

   しかしまあ、今年もまたギリギリギリギリのアップ。しかも、あまり甘くないし。

   カオリンを泣かすなよ〜、と突っ込んでみたら……




     ムツ 「泣〜かした、泣〜かした♪」

     撩   バキッ (殴)




   以上(笑)

   照れてるんでしょうか。幸せなんだからいいじゃん。

   あたしだけ殴られ損だ。チッ