Fall in Love




   
誰も知らない。

   オレがどんなに

   嫉妬深くて

   独占欲が強くて

   そしていつも

   抱えている不安を――…




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇






香はいつものように、午前中に家事を済ませて伝言板のチェックに出かけた。

依頼がない場合
(その方が断然多いのだが)はタコ坊主の店に寄り、

オレの日頃の悪行とやらについて愚痴を垂れながら午後の時間を潰す。

そして近所のスーパーへ夕食の買い物に行き、アパートへ戻る。

いつもこのパターン。

飽きもせずに毎日毎日繰り返している。

オレはと言えば、そういつもナンパに精を出しているわけじゃあない。

射撃の練習、筋力トレーニング、情報収集、エトセトラ…

そんなオレがあの店の存在を知ったのは、源さんからの情報が元だった。

髭面のヘンな中国人が、これまたどんなルートから入手しているのか

怪しい漢方薬を売っている、と。

新宿界隈の潜りの店も全て把握しているはずだったオレの裏をかいて、

三日前から堂々と営業している。

しかも、営業時間は夜中の2:00〜3:00だけ、っていう
(丑三つ時じゃねえっつうの)

怪しすぎる店だった。

バックにヘンな奴らがついていると面倒なことになるな。

そう思ったオレは早速、二丁目でさんざん飲んだ帰りっていう振りをして

その店に立ち寄った。








「イラッシャ〜イ」


って、おい。どこぞの芸人じゃあるまいし…。


「ふ〜ん…こんなとこに店できたんだ。知らなかったな…」


少々ワザとらしく古びた店の中を眺め回す。

裸電球がいくつか灯っただけの店内は薄暗かったが、あちこちに中国語と英語の

文字が書かれた瓶や袋が置いてあるのが見えた。


「オープンしたばかり。ドウデスカ?今なら安くするアルヨ。」

「どんなクスリがあるんだい?」

「そうネエ……。お兄さんに必要なクスリを選んであげようネ。きっとアタル。」


髭のじいさんはオレの顔を じぃーっ と見たあと、おもむろにいくつかの瓶を取り出した。


「これは滋養強壮のクスリ。スッポンエキスが10匹分入っていてとっても効くアルね。

奥サン大喜びよ。それからこれは、毛根に効くクスリよ。

一生、白髪にならないし、ハゲないアルね〜♪」


おいおい…


「へっ!ハズレだ。オレは独身だし絶倫だ。そして、髪にはまったく不自由していない。」


自慢気に言い切ると、じいさんはふぉっふぉっふぉっと入れ歯を揺らしながら大笑いした。


「そうかいそうかい。失礼したアルね。それじゃあ……コレだね。惚れ薬。」


ほ…惚れ薬? まさか、イモリの黒焼きとか言うんじゃねえだろうな。


「ふん! ばかばかしい…」 

「お兄さん、コレ、ホントよ。これを食事に混ぜるとね、一緒に食べている人のコト、

スキにナルね。中国4000年の歴史アルよ。間違いナイね。」

「信じられねぇな」


オレの胡散臭そうな顔を見たじいさんは、思わずドキリとする言葉を口にした。


「お兄さん、スキなヒトいるでしょ? でも、心配アルね。離れていってしまうんじゃないか、

ココロガワリをされるんじゃないか…とか。」

「な…なにを…」

「ナニか後ろめたいコトアルね。だからスナオになれない。」





何も言えなかった。

確かに、この世界に香を引き込んでしまったことを後悔していないと言えば嘘になる。

じゃあ、表の世界に戻せるか、と聞かれたら、答えは NO だ。

香は自分が望んで傍にいると言っているが、そうじゃない。

オレが離したくないんだ。





「ふふ…当たっているアルね。」


否定できずに黙りこんだオレを見て、じいさんは満足そうに頷いた。


「…悪かったな。」


「お兄さん、ワタシを笑わせてくれたから、これプレゼントするアルね。」


じいさんは手にしていたクスリを小瓶に移し変えてオレに渡した。


「お金はいらないアル。試してみて上手くいったら、また買いにきてチョーダイよ。」


オレは眉唾もんだと思いながらも、瓶をポケットに突っ込んで店を後にした。








    見透かされた心の闇は

    あまりに巨大で

    底から湧き上がる不安を

    打ち消したくて。



    オレはこのクスリに

    賭けてみることにした。








さて…どうやって試そうか…

オレは散々悩んだ挙句、その小瓶に『ALL SPICE』というラベルを貼って香に渡した。


「何よ、これ」

「ああ、知り合いから貰った。料理の仕上げにパパッと振ると美味いらしいぞ。

お前の不味いメシもこれで少しは食えるように…イデッ!」


言い終わらないうちにミニハンマーが顔面にヒットした。

まったく…こういう所だけは抜かりがないんだよなあ…


「くだらないことばっか言ってんじゃないわよ。」


蓋を開けてくんくんと匂いを嗅いでいる。


「へー…。結構いい匂いじゃない。何料理でもいいの?」


どうやらお気に召したようだ。


「ああ。だから、オールスパイスっていうらしい。」

「ふ〜ん。化学調味料みたいね。じゃあ、早速今夜から使ってみるわ。」


鼻歌を混じりでキッチンへと向かう後ろ姿を見ながら、

何とか怪しまれずに済んだと胸を撫で下ろした。





それから一週間、香は毎日あのスパイスを振りながら食事を作っていた。

オレは食事の度に、普段はあまり言わない『美味い』という言葉を繰り返し、

香は、このスパイスのおかげだと喜んで使っていた。

そしてオレたちに変化は、と言うと……残念ながら何もない。

悪態もつく、ハンマーも飛び出す、今までと何ら変わらない日常。

あんなじいさんの口車に乗せられて、少しは期待していた自分がバカらしくなった。



そんなある日のこと――――。








しこたま飲んで、昼を過ぎる頃にようやくベッドから抜け出した。

キッチンでは一緒に朝帰りをしたミックが、遅いブランチを摂っていた。

トーストとオレンジジュース、トマトサラダにスクランブルエッグという食事を、

オレたちの所業に呆れているはずの香は、ちゃんと二人分作ってくれていた。


「遅いぞ、リョウ。カオリは出かけたぜ。」


二日酔いの頭は、ミックの言葉ひとつにもガンガン響く。

ああ、言われなくても判ってるよ。

あいつは、何があっても毎日のスケジュールはきっちりこなすんだ。

朝帰りばかりの男にまだ愛想を尽かさないっていうんだから、たいしたもんだよな。


「メシは?」

「…いい。食欲ねえ…」


欠伸を噛み殺しながら新聞を広げてみるが、文字が全然頭に入ってこない。

…だめだ、こりゃ。

痛む頭を抱えてコーヒーを淹れる準備をしていると、ミックが手伝うと言って立ち上がった。

珍しいこともあるもんだ。


あれ……ミックの奴…

心なしか、顔が赤くないか?

熱でもあるんだろうか……

カチャカチャとカップを用意しながら、チラチラとオレの方を見ている。

何か相談したいことあんのかな。

言い出しにくそうだ。

もしや、かずえさんとうまくいっていないとか?


そんな事を考えながらコポコポとコーヒーを淹れていた時、

背後からその様子を覗き込んできたミックの手が、オレの肩に置かれた。

一瞬、ゲゲッと思ったが、仲のいい友人同士ならよくあることだ。

アメリカじゃ、スキンシップの第一段階みたいなもの。

それに、熱いポットを持っていたから跳ね除ける訳にもいかなくて、

その場はやり過ごした。

けれど、その手がゆっくりと降りてきて腰に回った時、背筋をぞわっと悪寒が走った。


あ、ああっ?!

な…何か、嫌な予感がするぞ…


「なあ、リョウ。午後の予定はどうなっている?」

「…は?」


おい…この甘ったるい声は何だ?


「どうせ暇だろ? 映画でも行かないか?」


こ……これは……

よせ、ミック。 目元が赤いぞ。

間違いない。あのクスリの所為だ!



ミックはオレに惚れている…!
(ガーン……)



「……悪いが、用がある。」


冗談じゃないぞと引き攣る顔を堪えながら断ると、ミックは残念そうな表情をした。

本当に、心底残念そうな顔だ。


マジかよ…

じゃあ、何で香とオレには効かないんだ?

混乱する頭を必死で整理する。




――― そして出た結論。




これ以上惚れることはないってことだろう。

香にも変化がなかったってことは…

……つまり

……そういうことなんだろう。こほん。

あのじいさんに確かめようと行ってみたが、店は跡形もなく消え去っていた。

一体何だったんだろう。

オレの心配は杞憂だったのかもしれない。

けれど、確実なことはひとつわかった。

当分の間、誰も食事に招待できないってこと。

それだけは確かだ。






<End>










     <あとがき>


       ムツ 「はいはい。ごちそうさまでした〜。はい、撤収、撤収。」

       撩  「おい!ちょっと待てよ、ムツゴロウ! 感想はそれだけかよ。」

       ムツ 「あんたとカオリンがラブラブだっつうことでしょ?

           んなもん、試さなくったって判っていたでしょうに…」

       撩  「いいじゃねえかよ。オレだって…
ブツブツ…」

       ムツ 「それより、この後ミックはどうなったのよ。

           あたしゃ、そっちの方が気になるわ。
(わくわく)

       撩  「はぁー…っ (盛大なため息) やめてくれ。…思い出したくない。」

       ムツ 「何よ、言いなさいよ。ほれ。」

       撩  「帰りたくねぇってダダこねやがってよ。ホント、参ったぜ。」

       ムツ 「ブ…ブ―――…ッ!! はっはっは!」

       撩  「笑い事じゃねえって! 大慌てでかずえさん呼んで、

           スパイスたっぷり効かせたコーヒーを二人に飲ませたんだよ。

           それでやっと矛先が変わったってわけさ。」

       ムツ 「ひっひっひ… 自分で蒔いた種でしょうが。あ〜苦しい。笑い死ぬ。」

       撩  「フン! 人の気も知らねえで…覚えてろ。」