受難の日




「う〜〜っ 頭いてえ…。さすがに昨日は飲みすぎたな。」



昨夜も遅くまで、と言うか今朝方までミックと飲み歩いていた撩は、

昼近くになってようやくリビングへと降りてきた。

いつもなら口煩い同居人に叩き起こされているところだが、

今日はやけに静かで不気味なくらいだ。

リビングにもキッチンにもその姿は見えない。


(帰って来た時にケンカしたからな。怒っているのか?ったく、しゃーねーな。)


ツケで飲み歩いている男への小言は昨日今日に始まったものではない。

それを耳から耳へと軽く流していくのにも年季が入ったというものだ。

テーブルの上に並べられた朝食兼昼食を平らげ、

新聞を広げる頃になっても香は現れない。


(妙だな。伝言板を見に行くならメモ残しているはずだし。どこ行った?)


怒って部屋に篭っているのかと考え、香の部屋を覗いてみるが姿はない。

終いには風呂やトイレまで覗くがやはりいない。

最後に玄関に行ってみるといつも香が履いている靴がないことに気付いた。


(やっぱり出かけているのか。キャッツだろうな…)


どうしたものかと思ったが、昨夜のことを謝っておかないと後々面倒だと

思った撩は、重い腰を上げて迎えに行くことにした。








「やっほ〜!! 美っ樹ちゅわ〜ん。撩ちゃんだよ〜!」



ドアベルが鳴り響くと同時にいつもの喧しい男が入ってきた。

カウンターを掃除していた美樹とかすみのお尻を撫でて悲鳴を上げさせ、

満足そうな笑みを浮かべてドカリと座るこの男が、裏の世界NO.1だとは

誰も信じないだろう。



「フン!お前は相変わらず煩い男だな。用がないなら早く帰れ!」

「え〜っ?海ちゃんったら、つれないなぁ。折角プレゼント持ってきたのに…」

「プレゼント、だと?」



ミャオーン…



「………」



一瞬の静寂の後、マスターは飛び上がった。



「げげ―――っ!! 撩! お、お前、か、か、肩に、何、何、乗せてる?!」

「何って、日頃お世話になっている海ちゃんへプ・レ・ゼ・ン・ト。可愛いだろ?」



そう言うと、小さな爪を立てて必死にしがみつく子猫をつまみあげ、

わざとらしく海坊主の目前にかざした。



「やっ、やめろ〜〜〜〜〜!!オレの方に向けるな!」

「んな、遠慮するなって。ほら見てみろよ、可愛いなぁ。」

「よせっ! こっちに来るな!!」



大きな図体でカウンター内を後ずさりするものだから、

ガシャンガシャンと盛大な音を立てて食器が次々に割れる。

それでも撩は面白がってマスターに迫っていくので、店の被害は甚大だ。



「ファ、ファルコン!落ちついて。冴羽さんもいい加減にしてぇ!」



経費を圧迫させる事態に、堪らず美樹が悲鳴を上げる。

毎度の事ながら顔を出すたびに一騒動巻き起こす男に、

店に居合わせた全員が深いため息をついたのは言わずもがなである。



「リョウ。カオリなら もういないぞ。」



それまで黙って傍観していたミックの言葉に、撩はピクリと反応した。



「なんだ、お前もいたのか。」

「いたのか、ってこたあないだろ?お前のせいでな、俺はカズエに

こっぴどくやられて避難してきているんだぞ。」

「それはお前の日頃の行いが悪いからだ。自業自得だろ?」

「なんだって?よくも自分のことを棚に上げて…」

「それより、香はここにいたのか?どこ行った?」



まだまだ文句が言い足りなさそうなミックだったが、

不機嫌極まりない男に中断されて仕方なく答えた。



「さっきまでいたんだが、知らない男が迎えにきて一緒に出てったぜ。」

「男?」

「ああ、結構いい男。心配か?」

「ば、ばか言え! どうせ依頼人か何かだろ。」

「さて、どうかな。お前も愛想着かされたんでないの?」

「ミック! お前なあ…」

「やけに親しそうだったしな。そう言えば、新宿公園に行くって言ってたぞ。」

「……」

「どうする?リョウ。」 



形勢逆転とばかりに、ニヤリと顔を伺うように覗きこむ。



「ふ、ふん!オレは用があったから探していただけだ。いないなら帰る!」


来た時と同じように喧しくドアを開けて出て行く後ろ姿を見ながら、ミックは呆れたように言った。



「まったく…素直じゃねえな。」

「ほんと。香さんの苦労も少しは理解して欲しいわよね。」

「フン!あいつには逆立ちしても無理だ。」



今に始まったことじゃないか、と互いの顔を見合わせて笑ったのだった。








これ以上キャッツにいると居心地が悪くなるのが判りきっていたので、

撩は公園へと足を向けた。

公園に着いて一通り見回したが、ベンチにも噴水の周りにも香の影はない。



「チッ! いねえじゃねえか。」



ミックが話していた男というのが気にならない、と言えば嘘になる。

自分でもイラつくような気持ちの正体に気付き、自然とふかす煙草の本数も増えていく。

ウロウロと歩き回っていると、背後からふいにポン、と肩を叩かれ跳ね上がった。



「撩! こんな所で何やってるの?」

「冴子か。驚かすなよ。」



ふーっと安堵のため息をついた撩に冴子は畳み掛けるように言った。



「あなたが私の気配に気がつかないなんて珍しいわね。どうしたのよ。」



らしくない、と言われて全くその通りだったと苦笑いをする。

情けない話、反論すらできない。



「ちょっとな。香を探しているんだ。」

「あら、香さんならさっき見かけたわよ。」

「ホントか?」

「ええ。10分くらい前だけど、すっごく素敵な男の人と一緒だったわ。あれ、誰なのよ。」

「知るか! こっちが聞きてえくらいだ。 で? どっちに行った?」

「歌舞伎町の方に歩いていったわ。仲良く腕組んで…、ってちょっと! 撩!! んもうっ!」



冴子の話を最後まで聞かずに撩は走り出していた。








いったいぜんたい、香はどこにいるんだ?



そう広くはない新宿の街を走りながら、撩は完全に混乱していた。

冴子から歌舞伎町方面に向かったと聞いてから追いかけてはみたが、

やはり姿は見当たらなかった。

知り合いのタレコミ屋もスナックのママも、香の姿は見ていないという。

だが、二丁目付近で偶然会った麗香は、香が男に肩を抱かれて

歩いているのをアルタの近くで見た、と驚いたように言っていた。

探せど探せど見つからない。

オレから逃げているのかと思わず考えてしまいそうになる。

闇雲に探し回っているうちに、すっかり夕暮れが迫る時間になってしまった。








「ミックも意地悪ね。」

「だってな、あいつは俺が飲み屋で女の子といちゃいちゃしていたとか、

あることないことカズエに言い触らしやがったんだ。あいつは人の不幸を

楽しんでいるんだぜ、ミキ。」

「そうね。ファルコンも大嫌いな子猫で散々な目に遭っていたわ。」

「だろ?」

「でも、冴子さんや麗香さんとも口裏を合わせてるなんて思わなかったわよ。」

「たまには、な。」



フフンッと鼻を鳴らして威張る様は子供のようだ。



「私だってねぇ、警視庁のコンピューターから情報引き出されて、今度こそ

本当にヤバかったのよ。麗香も下着を盗られたって怒っていたしね。」

「撩の奴、またやったのか。」

「そうなのよね。これで少しは懲りてくれるといいのだけどね。」



冴子とミックは互いの顔を見合わせてニヤリと笑った。



「今頃、街中を汗だくになって走り回っているだろうな。」

「ふふふ。そうね。」



悪魔のような微笑を浮かべる二人を見ていた美樹の顔が

一瞬にして凍りついた。



「さ、冴羽さん…」



いつのまにか背後に立っていた撩に、カウンターの二人は飛び上がった。



「そういうわけか。お前ら、騙しやがったな!」

「撩!」

「い、いつのまに…」



撩は恐ろしい形相でミックの襟首を掴んで揺さぶる。



「香はどこにいるんだ!言え!」

「く、苦しいって! 言うから離せよ。」


腕にこめた力を少しだけ緩めると、ミックは苦しそうに咳こんだ。


「どこだ?さっさと言え!」

「カ、カオリは最初っからここには来ていないよ。」

「な、何〜〜〜っ?!」

「冴羽さん、落ちついて!」



ミックに飛びかろうとした撩を、かろうじて美樹が抑える。



「ちょっとからかっただけなのよ。香さんが男の人といたっていうのも嘘だから安心して。」



その言葉を聞いて、撩の体からほっとしたように力が抜けた。



「たぶん香さんはアパートにいると思うわ。早く帰ってあげて。」



安心させるように撩の瞳を覗き込んでにっこり微笑む。



「あ、ああ。わかった。サンキュー、美樹ちゃん。」

「わかったら ほら、さっさと行けって!」

「ミック、てめえ、覚えてろよ!」



捨て台詞を残して撩が慌てて出て行った後、嘘のような静けさが拡がった。




「ちょっと苛めすぎたかしら。」

「そう、だな。やりすぎたか?」

「美樹さんは優しいわね。こうも簡単に許しちゃうなんて。」

「フン!そうでもないぞ。」

「やだ、ファルコン知ってたの?」

「当り前だ。撩に何をした?」

「ふふふ。だって、香さんの苦労している姿、毎日見てますからね。それに、

いろいろ壊される店の被害も堪ったものじゃないし。

でも、あと2時間くらいで切れるはずだから、大丈夫よ。」

「ええ?! それって…」

「たいしたことじゃないわよ。

アパートの場所を忘れるようにしちゃっただけだから。」

「……」

「……」

「……」

「美樹。お前が一番……」

「え?何?」

「………いや、何でもない。」








おかしい!! 何でアパートに帰れないんだ?

さっきから同じ所ばっかりぐるぐる廻っているじゃねえか!

あそこの角を曲がるはずなのに、気が付いたらまたここにいる。

オレは香のところに帰りたいんだ!

帰って謝らなきゃならないんだ!

なのに、なのに………

ついてねえ! 悪夢だ!

いったいどうなっているんだ〜〜〜???!!!








その頃、香は――



「ほんとに撩ったら、どこにいっちゃったんだろう…」



口喧嘩で言い過ぎた、と反省した香は今日は撩をゆっくり寝かせることに

したのだ。いつものように依頼はなかったので家事に精を出すことにし、

蒲団も屋上に干して、ついでに靴も手入れをしてピカピカにしていた。

だが、家事が終わってリビングに戻ってみると撩は既にどこかへ

出かけてしまった後だったのだ。

黙って待っている間にもすっかり日は沈んで真っ暗になっている。

並べられた夕食も冷めてきている。

沸々と怒りが込み上げてくるのが抑えきれなくなった。



「もう、知らない! 人がせっかく美味しいもの食べさせてあげようと思って

奮発したのに!帰ってきたら絶・対ハンマーよ!!」





2時間後――



やっとの思いでヘロヘロになって帰宅した撩に

さらなる仕打ちが待っていたのは言うまでもない…




<End>






  <あとがき>


   いつもおいしい思いばかりしている撩に、ちょっとばかりいじわるしてしまいました。

   え?ちょっとどころじゃないって?(笑)

   でも、撩の苛めネタって書いていて楽し〜〜〜い!!



   
ムツ 「今回は散々だったわね〜。」

    撩  「くそっ! どいつもこいつも、いったいオレが何をしたっていうんだ?!」

    ムツ 「・・・・・いっつもカオリンを苛めているからよ。(睨)」


    撩  「苛めてなんかいないっつうの!

        だいたいな、いっつもハンマーで叩きのめされているのはオレなんだぞ!」

    ムツ 「そうだ。一度聞いておきたかったんだよ。あんた、あれマジで避けられないの?」

    撩  「うっ・・・それは・・・」

    ムツ 「やっぱりね。あんた、わざと受けているでしょ!」

    撩  「そ、そんなことは・・・・」

    ムツ 「あ〜〜〜〜! あんたって、マゾだね?そうなんだ。やーい、やーい、M男。」

    撩  「うっ うるせ〜〜〜〜!! お、お前が一番 意地悪だあ!」