2月14日



足元に纏わりついていた紙屑が北風に煽られて飛んでいくのを、ぼうっと見ていた。


この季節にしては珍しく暖かい一日になるでしょう。
これも暖冬の影響でしょうか。


なんてことを今朝のお天気キャスターが言ってたっけ。

香はぶるっと身震いした。確かに昼間は日が射し、この時期にしてはコートもいらないくらいの
暖かさだったのだが、さすがに夜も7時を過ぎると、寒さが身にしみる。
その寒さに、さらに拍車をかけているのが、香の周りにいる、カップルだ。
それも一組だけではない。この混雑しているテーマパークの人間すべてが二人連れ。中には
オトコ同士や親子連れもいないことはないのだが、香の視界にはカップルしか入っていなかった。


「やだぁ、もうっ」

「だってなぁ・・・」


香の左側を、腕を組んだ若いカップルが通り過ぎる。
女の子は、この寒さがまったく気にならないのか、大きく襟ぐりの開いた服を着て、
その胸に彼氏の腕を押し付けながら歩いている(ようにしか香には見えない)。
互いに寄りかかかるように歩くそのさまは、新宿でよく見る酔っ払いのようにも見え、
香は少しだけ眉間に皺を寄せて目を逸らした。


「なんでこんな日に・・・」


溜め息なら、昨日から掃いて捨てるほどついてきた。もう時間的にもあきらめるしかないのだが、
幸せそうなカップルに囲まれている自分は、と言えば、一人でベンチに座って紙コップでコーヒーを
すすっている。これだけだとあまりにも周りから浮いてしまうから、という理由で相棒からは
「携帯でメールでも打っているフリをしろ」と言われている。


「確かに、待ち合わせでもしているようにしなきゃやってられないわ」


ブツブツ言っていてもしょうがない。
パカリ、と携帯を開いて、あと5分で指定の時間になるのを確かめた香は、紙コップを潰して
立ち上がった。




     ◆◇◆◇◆




連休明けの昨日、冴子がやってきたのは、いつものように相棒をからかいに来たのではなく、
珍しくも仕事の依頼だった。
警視総監の孫娘が二日前に誘拐され、その身代金の引渡し現場に指定されたのが、
有名なテーマパーク。そこで孫の奪回と、犯人の確保をするのに撩に協力してくれ、というのだ。


「めずらしい。協力しろ、じゃなくて、してくれ、なんだな」
「そうよ。今回はちゃんと報酬は現金で払うわ」
「いや、別に現金じゃなくても、もっこり・・・」

と言ったところで、後頭部に鋭い視線が突き刺さり、撩は慌てて頷いた。

「ま、まあ。冴子にしちゃ気前がいいじゃないか」

くすり、と笑った冴子は話を続けた。

「まあね。被害者が身内だからうるさいのよ。何が何でも、無傷で助けて、犯人逮捕も当たり前、
ってみんな思っているわ。そんなに簡単な話じゃないのに」
「簡単じゃないって?」

香がコーヒーを置きながら尋ねた。リビングにモカの香りがふわりと広がる。
冴子はありがとう、と言ってカップに口をつけた。

「犯人はわかっているのよね。先月検挙した爆弾テロ組織の一人が、
仲間の解放を目的に誘拐したの」
「人質と交換ってわけか」
「冴子さん。娘さんって、いくつなの?」
「まだ5歳よ。公園で遊んでいたところを攫われたらしいの」
「ふ〜ん・・・それで? 何でオレなんだ?」



確かに、日本の警察組織は世界でも超優秀である。
ましてやそのトップが巻き込まれた事件となると、昇格を狙って現場の目の色も変るだろう。
そこにわざわざ非合法を持ち出すこともない。



「これを見て」

冴子が差し出した写真をみた撩は顔を顰めた。
そこに写っていた少女は、胴体にダイナマイトをグルリと巻きつけられていた。


「悪趣味だな」
「犯人は、この子をこの状態で取引現場に連れて来るのよ。あなたにやってもらいたいのは、
この起爆装置を打ち抜いて欲しいことなの」

写真には男の手も一緒に写っており、握られた装置のボタンに親指がかけられている。
いつでも押せるぞ、という脅迫なのだ。


「でも、冴子さん、警察にも狙撃部隊がいるじゃない。何も撩じゃなくたって・・・」
「周りには一般人がいるの。傷つけられないわ」
「そんな! 人命がかかっているんだもの、一日くらい閉園させればいいのに」
「それができれば苦労はしないわ。香さん、明日は何の日か知ってるわよね?」
「・・・え、ええ。でも、それがどういう・・・」

香は、はっとして冴子を見た。

「そう。十万人という人がデートに来る特別な日なのよ。
そんな日に閉園なんて、とんでもないって言われたわ。営業保証金だけでいくらになると思う?」
「・・・・・・考えたな」
「周りのお客さんに気付かれることなく、犯人を捕らえたいの。やってくれるわよね」






     ◆◇◆◇◆





例のものは当日になってから近くのコンビニででも買おうと思っていたのだが、
こんな事態になるとは思わなかったから、用意していない。そんなことよりも、
うまく少女を助けられるのか、周りの人を巻き込まずに成功するのかどうか、
ということで頭がいっぱいで、考える余裕もなかった。
それなのに、犯人の指定したテーマパークに着いて待機している間に、
周りのカップルを見ていたら嫌でも思い出させられたのだ。


「あ〜、先週のうちに買っておけばよかったかなぁ・・・」


香は一瞬そんなことを考えたが、いやいや、と打ち消した。
冴子さんが帰ってからは、そんな雰囲気じゃなくなっちゃったし、
肝心要の事件が、今日中に片付くとは限らないじゃない。


「今年は・・・悪いけど、パスってことで・・・・・」


そう自分を納得させて香は持ち場についた。








20時ちょうど。

メイン会場となるお城の前の広場でイベントショーは始まる。
犯人の指定したのも、この広場の片隅のベンチだ。
香の最初の役目は、そのベンチにそれらしき人が近づいたら撩へ合図を出す。
少女がどういう状態なのかも見極めなくてはならない。
50mほど離れた場所から様子をうかがっていると、人ごみの中から、手を繋いだ親子連れが
ベンチに近づいていった。父親らしき背格好の男は子供をベンチに座らせ、その横に立って
ぐるりとあたりを見回した。


「あ、あの子・・・」


ギロリとした目つきの痩せぎすの男には見覚えはなかったが、子供の服装は
冴子の持ってきた写真で見たとおりだった。
香が背後からゆっくりと足を進め、ベンチまであと20mほどの距離になったとき、
男が携帯で誰かと話をしているのが聞こえた。


「・・・約束どおり、仲間をここに連れて来たら、ガキは返してやる」
「・・・いや、それはダメだ。代わりに車を用意しろ!」


あいつ、車で逃げる気かしら・・・


相手は警察の交渉係だろうか。
男はイライラしながら喚きたてているが、周りも賑やかな音に囲まれているせいか、
誰も二人に気を留めることはない。小さな長方形のものが男の右手に握られ、
少女の顔の前で振られている。


あれが、起爆装置・・・・・・


そう、香が思った時だった。
男がひときわ大きな声を荒げた。


「どうせ、どっかから見てんだろ?脅しじゃない。これを見てみろ!」


男は子供をベンチの上に立たせ、着ていた赤いコートの裾を捲った。
一瞬だけでそれは閉じられてしまったが、写真どおりになっていたのは
離れた香の位置からでもよく見えた。
ついでに、泣きそうになって固まっている子供の顔も。


何とか助けなくちゃ・・・


「・・・そんなことしてみろ。ここは血の海になるぞ」


そうはいくもんですか・・・



時報の鐘が鳴り渡り、ショーが始まった。
男の会話も聞こえなくなり、パーク内に散らばっていたカップルたちが、ショーを見に集まってくる。
あっという間に、広場は黒山の人だかりとなり、香とベンチの間にも人垣ができてしまった。


あたしはかえって目立たなくなるからいいけど・・・撩は・・・


この混雑の中で、あの起爆装置を狙撃するのは困難を極める。
人と人の間に、ほとんど隙間なんかない。
周りの客の視線は、華やかな中央ステージへと集まっていった。
ステージでは様々な色のライトが回り、ねずみやあひるが飛び跳ねている。
ショーが佳境に入り、最初の打ち上げ花火が弾けた音を合図に、香は駆け出した。








     ◆◇◆◇◆








「お疲れだったわね。ありがとう」


冴子がてきぱきと現場に指示し、あたりはさほど混乱もなく撤収が進んでいた。
犯人は優秀な刑事たちにぐるぐる巻きにされて、あっという間に引き立てられて行った。
閉園の案内放送に追い立てられるようにゲートへ向かうカップルたちも、
何かのアトラクションの一環だと思っているようで、横目で見ながらも足早に去っていった。
攫われた少女も無事で、駆けつけた家族に抱きかかえられている。


「それにしても、さすがだったわね」
「そうですねぇ」
「あら、香さんったら。撩のことじゃないわよ、あなたのこと」
「は? あたしはたいしたことはしてないし・・・」
「いいえ。あんなに撩と呼吸ぴったりに仕事ができるなんて凄いことよ」
「そ、そうですか・・・?」


香は恥ずかしそうに頬をポリポリと掻いた。


「ほんと、羨ましいわ・・・」


冴子はちょっと淋しげに微笑んだ。






最初の花火を合図にベンチへと走った香は、
次の爆音の直前に少女の耳を塞いで、抱えながら地面へ伏せた。
これだけの人ごみの中で狙うには、それなりの斜度が必要だということで、
メイン会場となった城の屋根の上から狙った撩のショットは、ドドン、と続けて上がった花火と一緒に、
装置の基盤と犯人の右手を見事に打ち抜いていた。

その距離100m。



一秒でもタイミングがずれたら、失敗していたわよ。


そう言い残して、冴子は去っていった。




あの瞬間、撩ならここでこう撃つだろうって、何故だかわかった。
近くにいるわけじゃないのに、撩の呼吸も聞こえたような気がした。
何か・・・・・・嬉しい・・・。




冴子の後姿を見送っていると、腿にトスン、と何かがぶつかってきた。


「お姉ちゃん、ありがとう」
「さっちゃん、怪我がなくて、よかったね」
「うんっ」


ボアつきの真っ赤なコートを着た少女は、本当に可愛らしく微笑んだ。
香も思わす頬が緩んでしまう。


「これ、あげる」


コートのポケットから取り出したのは、小さな銀色の塊。
銀紙で包まれていたそれは、握られていたせいか、半分柔らかくなっていた。


「いいの?」
「うん、いっぱいあるから」


そう言ってパタパタと両親の元へ走っていってしまった。




     ◆◇◆◇◆






「こんなとこにいたの?」

「・・・中、吸えるとこないから」


撩は、薄暗い駐車場に停められた車に寄りかかって立っていた。
何事もなかったかのように、一服しているのが余裕綽々に見える。
あの狙撃の痕は見事に抹消され、装置は何らかの原因で自爆したことになる、と
冴子は言っていた。つまり、撩や香のしたことは何の記録にも残らず、ニュースにもならない。
それでも、さっちゃんの記憶にちょっとだけあたしが残ればいいかな、と香は思った。
小さい頃の怖い記憶というのは、なかなか消えないけれど、最後は笑顔になってくれて良かった、
と心の底から思った。



「右手出して」

「・・・なんだよ」

「いいから」

「はいはい」



広げられたその手の平に、銀紙を載せた。
撩は少しだけ目を見開いた。



「これ、さっちゃんから」

「何で?」

「・・・・・・お礼だって」

「ウソつけ」



存在すら知られていないのに、お礼というのは変だったが、今更訂正しようがない。
香は赤くなりそうな顔を俯けて言い張った。



「ウ、ウソじゃないもん」




「ま、いいけど・・・」



撩は銀紙を外し、ポイ、と簡単に口に放り込んだ。



「ゲ・・・あまっ」

「贅沢言ってんじゃないのっ」

「はいはい」

「ほら、さっさと帰るわよ。エンジンかけて」

「はいはい」




ミニクーパーに乗り込んで湾岸線へ入り、しばらくすると、
カーラジオから時報が聞こえた。
ちょうど0時だ。



「ギリギリセーフ・・・?」


「・・・・・・」


ニヤリと笑う横顔に、迷わずパンチをしたい気分になった香だった。



                                                <End>






    ※記述したテーマパークは妄想の賜物ですので、ショーの時間など、すべてフィクションです。ほほ



            ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






     
     今年のバレンタインものは、久しぶりのドラマ調で書いてみました。
     撩サイドからはまったく書いていないという話は本当に久々です。
     もう少し早くアップできればよかったですね。すみません。
     それにしても、年々しょぼくなっていくわね、カオリンのチョコ。



      撩  「ショボくはないだろ。今年は」

      ムツ 「あら、そう?」

      撩  「お前には、情緒とか、デリカシーって言葉が欠けている」

      ムツ 「ま、失礼ね!」

      撩  「そして、ギリギリセーフはお前のことだ、お前の」

      ムツ 「くっそ〜〜〜(当たっているだけに言い返せない)」


      撩  「勝った・・・久々に・・・」  じ〜ん・・・