神頼みの効能





台風一過で久しぶりの晴れ間が広がった。

見上げれば、雲ひとつないピーカンの青空。

辺りに聞こえるのは野鳥のさえずりと川の流れ。

眩しい木漏れ日が目に痛いくらい。

ああ、なんて最高のロケーション!!!



……と言いたいところなんだけど、なんなのよ、これはっ!



「ちょっと、撩!! まだ直んないの?」

「うっせえな! 今やってるだろ。お前もちょっとは手を貸せよ」

「い・や・よ。車の事なんか判んないもの。

 それにあんた、さっきこんなのチョロいって言ってたじゃない」

「思ったより重症なんだよ。……あー、もうやってらんねぇ!ギブアップ!」

エンジンルームを覗いていた撩は、スパナを放り投げた。






数日前に某有名会社社長の依頼を受けたあたし達は、

小学生のお嬢さんを誘拐した犯人を追って隣県までやってきた。
   ・ ・ ・
撩(とあたし)の活躍でお嬢さんは無傷で救い出し、バカな犯人達を冴子さん経由で

県警に引き渡したのは今朝のこと。そして、意気揚揚とアパートへ戻る途中、

車がエンコしてしまったのだ。

しかも、こんな山奥で。

どうすんのよ。こんな所じゃガソリンスタンドもあるわけないじゃない。

さっきから、車だって一台も通らないし……。

嗚呼、神にも運にも見放されたかしら。



「お、なんだ。携帯、通じるじゃんか」

「ほんと?!」

「アンテナ一本だけど、なんとか……あ、もしもーし?」



あ〜、よかった。ふもとまで歩かなきゃならないかと思ったわ。

ほんと、冗談じゃないわよ。

今朝の立ち回りで疲れているのに、さらに歩けなんて言われたら……。

ただでさえ、このところの暑さでバテ気味なのよ。

あたしは、驚異的体力の持ち主の誰かさんとは違うんですからね。

既に体力・気力ともに限界。早く家に帰って休みたいのよ!

…というあたしの心の叫びは神様・仏様に届いたかどうか。

撩が電源をオフにしたのを見計って聞いてみた。



「どうだった?」

「ああ。 近くの修理屋に来て貰えるよう手配したんだけど、2〜3時間かかるってよ」

「う……仕方がないわよね。こんな場所じゃ……」

来てくれるだけ、まだましよね。

「んじゃ、オレ、それまで一眠りすっから」



そう言って撩はさっさと車に乗り込み、シートを倒してしまった。

あっけにとられている間に、早くもいびきが聞こえる。

もうっ……信じられない!

こんなくそ暑い中でよく眠れるわねっ。

というか、あたしを一人残して眠るなんて、いい度胸してるじゃないの!

文句のひとつでも言ってやろうかと思ったけど、

運転席に沈み込んだ撩の顔を見て、……やめた。

だって。

あたしより疲れているのは撩だもの。

二人で依頼を果たした、と言えば聞こえはいいかもしれないけれど、

その実情は……ね。

しかも、撩は休みもしないでそのまま長いこと車を運転している。

疲れるのは当り前よね。

ほら、目の下にうっすらと隈ができてる。

もう少し、寝かせてあげるとするか……



手持ち無沙汰になったあたしは、近くをぶらついてみることにした。

太陽はもう真上に差し掛かり、ギラギラと陽射しが暑い。

でも、地面がアスファルトやコンクリートじゃなくてよかった。

新宿のビル群の中で同じ陽射しを浴びているよりは、まだマシよね。

埃っぽいジャリ道を100mほど歩くと、細いわき道が左手に見えた。

その角に……



『← 癒しの湯 丸山温泉旅館 ここから500m』



という看板が。



嘘みたい。 

こんなところに温泉?

ラッキ〜〜〜〜!

神様・仏様!!ありがとうっ!










「……で?」

「え……っとぉ……」

「オレ様を起こしてまで連れてきたトコがこれ、か?」

「う……」



だってぇ〜〜〜っ

『癒しの湯』って書いてあったのよ。

疲れた撩を休めてあげたいって思ったのよ。ほんとにほんとよ!

なのに……

目の前の建物は、何と言うか、築100年くらい経っているような古びたところで。

かろうじて看板が掛かっているものの、人の気配がない。

草は伸び放題で手入れもされていない。

唯一、竿に干されたいくつかの洗濯物が風にひらめいているから、

ここが廃墟でないことだけは確かみたい。

勝手口のような狭い戸を開いて、奥へと声をかけてみた。



「ごめんくださ〜い…」



三回ほど叫んだところで、奥からヨボヨボのおばあさんが現れた。

腰が曲がって、撩の半分くらいしか身長がない。



「はいはい。おや、珍しい。こんな所へ…。お客さん?」

「あ、はい。お風呂だけ頂きたいんですけど、営業してますか?」

「ああ、お風呂ね。今は閉めているけど、入れますよ」



ほっとして撩を振り返る。

撩もさっきまでの憮然とした顔から、少しだけ険が取れていた。



「うちの温泉は疲労回復に効くからね。ゆっくり浸かってらっしゃい」

「あ…ありがとうございます」



ああ、神様・仏様は、あたしたちを見放してはいなかった!!

こうなったら明日から、いや、たった今から、神仏信仰者になるわっ!






旅館の中は、外の暑さが嘘の様にひんやりとしている。木造だからかもしれない。

あたしたち以外は誰もいないようで、足音がやたらと静かな廊下に響く。

案内されて歩いていった廊下の暗さにようやく目が慣れた頃、

突き当たりに暖簾がかかった引き戸が見えてきた。

ガラリと引き戸を開けて、右が女湯、左が男湯ですからね、とおばあさんが言う。

案の定、というか、やっぱり脱衣所にも人影はない。



「ちっ……混浴じゃねぇのか」

「あ、当り前でしょ!! 何考えてんのよ!」

「だってよぉ、香ちゃんがオレを無理矢理誘うからさぁ。

そんなに一緒に入りたいのかなって……イデッ 叩くなって」



おばあさんにはあいつの戯言は聞こえてなかったようで、

あたしたちにタオルを渡すと廊下の奥へと消えていった。

アホなことばかり言う撩はその場に残して、暖簾をくぐって脱衣所の戸を閉めた。

古い温泉。なんだか、昭和の時代にタイムスリップしたよう。

脱衣籠は竹で編んだものだし、隅に置かれた体重計は、何ともいえないくらいレトロ。

しばらく使われていないようだけど、ちゃんと掃除はしているようで埃とかは

積もっていない。

ぐるりと見回すと、壁に貼られた効能書きが黄色に色褪せている。

ふ〜ん、疲労回復、夏バテ、肩こり、腰痛、神経痛とかに効くのか。

他にも何かいろいろ効能が書いてあるけど、字が滲んでいて読めない。

まあ、あたしの今の体調に効くのは確実みたいよね。

それじゃあさっそく、おばあさん自慢の湯に浸からせてもらいましょうか。

手早く服を籠に入れ、湯気の立っている洗い場に向かった。

洗い場は脱衣所よりもさらに古さに拍車がかかっていて、洗い桶や椅子は

年季の入った木製。

赤と青の玉レバーのついたカランなんて、今時ないって……。

一人で苦笑していたあたしの目に入ったのは、外へ繋がる木製の入り口。

あたしは内心、やったぁ、と叫びながら露天と書かれた扉を押した。






あ〜……気持ちいい〜〜〜っ



乳白色のお湯はちょっとぬるめで、ぬくぬくの羽根布団に包まれているような、

そんな心地よさ。滑らかな湯触りが何ともいえなくて、自然と頬が緩む。

目の前に広がるのは川向こうの山並。家も道路もないから、目隠しも必要ない。

塀に囲まれた都会の温泉に入るより、こういう自然を見ながら入る温泉の方が、

開放感があっていいに決まってるわよね。

それにしても、この温泉。

休業しているとは言ってもお湯は湧き出てくるのだし、使わなきゃ勿体無いじゃない。

あ、でも、おばあさんも歳だし、ひとりじゃやっていけないのかもしれない。

旅館って大変なのよね。

布団の上げ下ろしだって、かなり体力が要るって聞いたことあるし……。

でも、勿体無いわ。

そう呟いたら、背後から、何が勿体無いって? と聞き慣れた声がした。



「りょ、りょおっ?!」

振り向くと、腰にタオルを巻き付けた撩が立っていた。

どっかの健康バカみたいに腰に手なんか当てて。

「な、何やってんのよっ!こ、ここ、女湯よ!早く出てって!!」

「ざ〜んねんでした。露天だけ混浴なんだぜ」

「う、嘘よっ!」

「嘘じゃねぇって。ほら、扉がちゃんと二つあるだろーが」

「ええ?!」

言われてよくよく見ると、あたしの入ってきた入り口から少し離れた所に、

確かにあるもう一つの入り口。



がーーーーーん



パニックに陥ったあたしは、とりあえず撩から一番離れた淵までズザザッと身を寄せた。

ちゃんとタオルで身体を隠して、よ。

なのに、あいつったら、ふふんって鼻なんか鳴らして、湯船に入ってきた。



「香ちゃ〜ん。つれないなぁ」

「うるさいっ!」

「せっかく二人っきりなんだからさあ、こっちでお話でもしよーよ」

「あんたに近づいたら、それだけで済まないでしょ」

「済まないって、何がぁ?」

「あ、あんたが話だけで済ませるとは到底思えない」

「ふ〜ん、済まないってこういうことしちゃうってことかなぁ」

「ちょっと! それ以上近づかないでったらっ!」

「逃げるなって。オレは香ちゃんと仲良くしたいだけなんだから」

「あ、あたしは、仲良くなんてしたくな〜いっ!」



広いとはいえない露天風呂の中を逃げ回るにも限度がある。

だいいち、あいつは本気を出せばすぐにあたしを捕まえられるはずなのに、

どうもこの状況を楽しんでいるみたい。付かず離れずの距離で追いまわしてくる。

なんか、ムカツク。

半分怒りながら、半分焦りながら逃げ回っていたあたしは、

とうとう隅に追い詰められてしまった。

目の前には口の端を上げてニヤついている撩。

やばい……

少し離れた背後にはあたしが入ってきた入り口がある。

でも、そこへ走りこむには、この湯船から出なくちゃいけないわけで。

それこそ塩コショウを自分で浴びた羊が腹ぺこの狼の前に転がり出るようなもので……。

ど、どうしよう……。

助けて! 神様・仏様!!



「もう、逃げられないぜ」



撩があたしの方へ手を伸ばしかけたその時。






「あんら、誰もいねかと思ったら」

「はいはい、おじゃましますよ」



ドヤドヤガヤガヤと総勢十数人のおばちゃんが女湯の入り口から入ってきた。

前を隠しもしないで、堂々と。

撩は呆気にとられたのか、口を半開きにして固まっている。



「ああ、お兄さん、気にせんでええから。あたしら見慣れとるけぇの」

「はぁ〜、どっこいしょっと」

「う〜〜っ… いい湯だねぇ」

「ほんと、ここのお湯はいつ来てもええねぇ」

「あれ、お兄さん。な〜んか体、傷だらけだっけど、ここの湯は怪我や火傷にも

 効くからさぁ。ゆっくり浸かるんだよ」

「は…はぁ……」



あ…、撩の顔。引き攣ってる。



「そうそう。アレにも効くからねぇ。浸かれば浸かるほどいいってさ」

「ヒデちゃん、アレってアレかい」

「そうよ、マサちゃん。アレさぁ」

「アレは大事だわねぇ」

「そうさ。お姉さんもアレのダメな男は相手にしちゃダメさね」

「ア、アレって…?」

「いやだね、この子は!アレったらアレに決まってるじゃないの!ねえ」

ぎゃはははははっ



ちょっと……アレって何? っていうか、ここって休業中じゃなかったの?

なんてあたしの疑問には誰も答えてくれず、マサちゃんと呼ばれたおばちゃんは

あたしの背中をバシバシ叩きながら大笑い。

視界の端っこで撩が男湯にスゴスゴと退散するのが見えた。

さすがの撩も、この数じゃおばちゃんパワーには負けるわよね。

クスッ

車が直ったら、帰りはあたしが運転してあげるとするか……。










ちょうどその頃―――――



「あ、ばあちゃん。予約の凸凹町内婦人会ご一行様、ご案内したからね」

「ああ、そうかい。ご苦労さん。運転疲れただろ?」

「たいしたことないよ。バスの運転くらいどうってことない。それより、父さん達は?」

「廊下の蛍光灯の換えが無くなってねぇ。ふもとまで買物に行ったよ。

 そろそろ戻る頃だろ」

「ふ〜ん、そっか。留守中変わったことなかった?」

「…ああ。お風呂入りたいっていうお客が来てねぇ。

 時間外だったけど、なんか身なりがボロボロでさ。かわいそうだから入れてあげてるよ」

「え?駐車場には車なかったぜ。ここまでどうやって来たんだろ」

「それがねぇ、裏口から訪ねて来たのよ」

「へえ。あっち側は不便だから使ってないのにな。それに改装してないし」

「そうだねぇ。迷ったのかねぇ」

「それにしても、お客さんだってよく判ったね。耳遠いのに」

「なんかねぇ、誰かに呼ばれたような気がしてさ」

「行ってみたら迷子みたいに居たわけだ」

「ほんとにねぇ。ま、困っている人には親切にしなくてはいけないからねぇ」

「ばあちゃんって、仏様みたいだな。ははっ」




お後がよろしいようで……






<End>

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




   <あとがき>

    キリ番 41000を踏んでくださった 久我賢城さまからのリクエストは、

    『リョウと香が温泉に行って一緒に混浴に入る』でした。

    撩は今回、ちっともいい思いしていません(笑)。ま、いつもいい目みてるから、いっか。

    それにしても、久我さま、お待たせして本当に申し訳ありませんでした。




     撩  「あ〜あ、全く散々だったぜ」

     ムツ 「残念だったね、あんた。温泉でいちゃつけなくて」

     撩  「うっせえっ!」

     ムツ 「しかも、アレがダメな男はダメだって・・・・・・くくくっ」

     撩  「くそっ オレはアレ、ダメじゃねえからな!」

     ムツ 「ぎゃはははははっ 強がり言っちゃって」

     撩  「おい、ムツゴロウ。お前のその笑い方、さっきのババアにそっくりだぜ」

     ムツ 
(ピクッ)

     撩  「ふん。お前もババアの仲間入りってところか」

     ムツ 「なんですとぉっ!! 天誅!」
(ドカッ バスッ)

     撩  「うわ、やめろ! 神様、助けて〜〜っ」