晩御飯一番勝負





「ちょっと、そこのオ・ク・サ・マ! 」



今夜は鍋物でもしようかと野菜売り場をウロウロしていたら、煩いくらいのキンキン声が響いた。

あまりにも大きな声に、ネギを掴もうとしていた手がピクリと止まってしまったくらいだ。


オクサマ……って、奥様?


あたしじゃないわ、とネギを手にしたところで、またしても大きな声がした。




「ねえ、奥様ったら!」




キョロリと周りを見回すと、近くの試食コーナーで中年のおばさま
(いや、おばちゃんと言った方が

近いかもしれない)
が ニコニコ顔で "おいでおいで" をしている。

まだ夕方というには少しだけ早いこの時間帯、買い物客はまばらだ。

そしてあたしの周りには定年退職して数年経ったようなおじさまとバイトのお兄ちゃんしかいない。

どうやらここで呼ばれている「奥様」とはあたしのことなんだろうか、と ようやく気がついた。




ちょっと……あたしは、奥様なんかじゃないってば!

結婚……してる訳じゃないし……

そりゃあ、毎日主婦みたいに買い物しているけど……

もしかしたら、結構な歳に見えるのかしら……

それなら失礼しちゃうわ。無視よ、無視!




気が付かなかったふりをして買い物を続けていたら、おばちゃんは諦めたのか黙って

しまった。だけど、強烈な痛いくらいの視線を背中にヒシヒシと感じる。

そう。言うなれば殺気!獲物を狙ったハゲタカ並に強烈なもの。

おばちゃんは、じ〜〜っと見つめるこの視線攻撃であたしを振り向かせる作戦に出たのだろうか。




ふ〜んだ! その手には乗らないわよ。

今日は余分なものを買っている余裕なんかないんだから!
(いつもだけど)




だけど、気が付いてしまった。

鍋には不可欠な白菜が、おばちゃんのすぐ目の前にあるということを!!




く〜〜っ……



どうしようかなあ。あそこに行ったら絶対に声かけられるわよね。

いっそのこと、買うのやめようかなあ。

だけど、白菜がないと鍋って美味しくならないのよね。



う〜〜……



仕方が無い。強行突破だわ。

今夜は鍋!! 鍋なのよっ!!

何を言われたって、試食させられたって、買わないんだから!




あたしは、つかつかと通路を歩き、白菜の山を目指した。

そして、大ぶりの白菜を買物籠に入れた絶妙のタイミングで、やっぱり、というか、案の定、

おばちゃんに声をかけられてしまった。




「あらぁ、奥さんのところ、今日はお鍋なのぉ?」




あたし的には奥さんっていうのを否定したかったのだけれど、そうすると余計に話をしなくちゃ

ならなくなりそうで、ええ、とか、まあ、とか短く答えてそのままやり過ごすことにした。




「まぁ、残念。折角お買い得のうなぎがあるのにねぇ」




ほ〜ら きた!




「柔らかくって、本当に美味しいのよぉ。やっぱりうなぎは中国産より国内産よねぇ。静岡よ、静岡!」




だから何だって言うの。

うなぎなんて、あの大喰らいに与えたらどれだけ食べると思ってんのよ。

あんな高級品、年に一回食べられればいい方なんだから。

こっちは年中財政がピンチなんですからね!




あからさまに不機嫌な顔で前を通り過ぎようとしたたあたしの腕は、ハゲタカ…いや、失礼。

おばちゃんにガシッと掴まれてしまった。




「ね。奥様。これ、食べてみて。美味しいからぁ♪」

「い…いや、結構です。遠慮します。急いでますから。」

「そんなこと言わずに。ほら、ね。」




爪楊枝に刺した切れ端をあたしの口元にぐいぐいと押し付ける。

そして、「いらない」と言おうとしてほんの少し開けた口の中に無理矢理押し込んだのだ。




「む…・・ぐっ……」

「ね! 美味しいでしょ?」




おばちゃんは小さな瞳をキラキラさせてあたしの返事を待っている。




こういうの……弱いのよね。

ああ……どうしよう……

おばちゃんの強烈パワーに押されて、味なんかわからないわよ。




「どう? うなぎって体力つくから旦那さんに、ね?」




体力って……

あいつは毎日トレーニングしてるし、昨日だってチンピラを張り飛ばしていたし

体力は充分過ぎるほどついていると思うんだけど……




「い…や、結構です。うちの人そんなことしなくても体力有り余っているくらいだから…」

「んまあ! 若いっていいわねぇ。お盛んだこと!」




……は?

お盛んって……

体力って…もしかして……そっちの意味の体力だったの?

ひえ〜〜!恥かしい…勘違いしちゃった……

しかも……あ、あたし…今、思わずヘンなこと口走っちゃったんじゃ……

に…逃げなきゃ……




「あ、ちょっと!おくさぁん!!」




まだ何か叫んでいるおばちゃんを残し、あたしは足早にその場を立ち去った。

思いっきり顔が赤くなったのがバレなかったかしら。

撩のことを、よ、よりにもよって…『うちの人』だなんて!

これじゃまるで……その……し…新婚さんみたいじゃないのよっ

ああぁ!こ、こんなこと、誰か知り合いにでも聞かれていたら大変だわ!

キョロキョロと辺りを見回したけど、取りあえず見知った顔がなかったので胸を撫で下ろした。

そして、何気なくおばちゃんを振り向いたあたしは瞬時に固まってしまった。




りょ、撩!?




どうして撩がここに?

し、しかも、大口開けてうなぎの試食なんかしてる。

う…嘘でしょ?

あんた、あのおばちゃんに対抗できるの?

言い負かされてうなぎ買っちゃったら、今月は霞を食べていかなきゃならないのよ。

判ってる?




「……そうなのよぉ。美味しいでしょ?」

「うん。こりゃあ確かにウマイな」




ニコニコ顔のおばちゃんは、あたしの時よりも確実に1オクターブは高い声を出している。

おばちゃんのウンチクに知った顔で頷きながらうなぎをほうばる男に、妙に腹が立ってきた。

もうっ! そうやって何口も食べないでよ!あんた、いいカモじゃないの。




「さ・す・が!旦那さん舌が肥えてるわ。近頃は国産の美味しさが判らない人が多くってねぇ」




おばちゃんはため息混じりにしみじみと語っている。




「さっきもねぇ、あたしがこれだけ勧めているのに頑固なお客さんがいてねぇ……イヤんなるねぇ」




……それってあたしのことじゃん。




「ね、旦那さん。サービスするから買ってってよ」

「う〜〜〜ん……どうしよっかなぁ…」




撩!買っちゃダメよ!

あっ! おばちゃんの瞳がキラキラし始めた。まずいわ!




「やっぱ、やめるわ」

「え…えええ?どうしてぇ?」

「だってさ。うちのヤツ、あそこから睨んでるもん」




え?




指でさされたあたしとおばちゃんの視線がぶつかる。

一瞬の沈黙。




「あら ま」




おばちゃんはそう言い放ち、悔しそうな顔をすると、さっさと別の女性客に声をかけ始めた。




ふっ…勝ったわ! 




思わず拳を握り締めたくなるほどの充実感が拡がる。

こんなあたしって、大人気ないかしら……




「お前、何遊んでんだよ。かくれんぼか?」




視線を上げると、いつの間にか目の前に撩が立っていた。

いきなりアップで現れないでよ。びっくりするじゃない。




「な、何よ。あんたこそどうしてここにいるのよ」

「お前があんまり遅いから腹減っちゃってさ〜」




お、今日は鍋か? とか言いながら籠の中を物色している。

そしてさりげなく
(だと思うんだけど)白菜の入った重い籠を持ってレジへ歩き出した。

前を歩く大きい背中を小走りに追いかける。




「あ、籠……ありがとうね。重くない?」

「いや。オレ、体力有り余ってるから。ね、奥様」




ニヤリと口の端を上げて笑ってる。




………き、聞いてたのね〜〜〜!!




これ以上はない、ってくらいの赤面で立ち尽くしたあたしを促す。




「ほら、早く帰って鍋しようぜ、鍋」




はぁ〜…・ま、いいっか。

あたしだって聞いちゃったもんね。

さっき、確かに『うちのヤツ』って言ってた。お互い様じゃん。

何だかくすぐったいけど、たまには新婚さん気分で鍋を突付くっていうのもオツだわね。

今夜くらいは喧嘩しないでご飯たべようっと。




<End>







      <あとがき>

          カウンターで15000を踏まれたmi-koさまからのリクエストは

          『撩に「うちのやつ」、香に「うちの人」って言わせて』 でした。

          シチュエーションをあれこれ考えていたらこんなにアップが遅くなってしまった。

          mi-koさま、ごめんね〜。

          そして、今回も脇役が活躍、いや、大暴れしています。





          ムツ 「いるよね〜。こういうおばちゃん。試食して買わずに済ますのは一苦労ものだよ」

          撩  「そうか?んなもん、鼻であしらっちまえばいいんだよ」

          ムツ 「あんたは神経図太そうだもんね」

          撩  「ふん!お前もな。香の爪の垢でも煎じて飲めば?」

          ムツ 「言ったわね!き〜〜〜〜っ!悔しい!!」

          撩  「ふっ・・・これでオレさまの9勝6敗だな」

          ムツ 「あら? あたしは8勝6敗よ」

          撩  「そんなの、おかしいじゃねえか!」

          ムツ 「ケンカっつうのはそういうものよ。おほほのほ〜」 これであたしの9勝6敗