お江戸始末屋騒動





<其の壱>


 

「なんと!そのようなことが…」

「そう、考えていたよりも事態は切迫しておる。一刻の猶予もないのだ。わかるな?」


夕闇せまる薄暗い墓場で、二人の男達が囁くように話をしている。


「…それで、わたくしにどうしろと?」

「奴との接触はできるか?」

「…奴はめったなことでは動きませぬ。しかし、忠助殿の依頼となればそれも可能かと…」


忠助と呼ばれた男は、その言葉に一瞬ほっとしたような表情を見せた。


「そうか…。良かった」

「では早速、奴との接触を図ります」

「うむ。お主に任せた。依頼料は弾むが、くれぐれも内密にな」

「無論、承知致しております」


袈裟を着た大男は、図体に似合わず丁寧な口調だ。その口調からも、

この忠助と呼ばれた男が、地位の高い男だということがわかる。

忠助は坊主の言葉を聞くと微かに頷き、

何事も無かったかのような素振りで歩き出した。

そして墓地の外に待たせていた籠に、人目を避けるように乗り込んでいった。


(やれやれ、あいつとまた関わるのか…)


後に一人残された男は大きなため息をついて、月のきれいな空を見上げた。

 

 




時は安永、江戸の町も平和な時代が続いている。そんな中…。


「ねぇねぇ、おねえちゃん。かわいいねぇ。ボクちゃんとあそばな〜い?」


どこからか間抜けな男の声が聞こえてくる。


「いや〜ん、ついてこないで!」


多くの人でごった返す往来で、一人の男が町娘の尻を追い掛け回している。

ここ、新宿御苑一帯は江戸城から向かって、甲州街道と青梅街道のちょうど分岐点にあり、

いつでもたいそうな人混みなのだ。その男は、目にもとまらぬ速さで人々の間を

すばしっこく動き廻りながら、(おっ?)と思う娘には片端から声をかけまくる。

顔つきはにやにやしていて、まったくしまりがない。


「ちょっと!撩!!さっきから何やってんのよ!」

「うぉおっ!か、香…。こ、これにはちょっとした訳が…」

「な〜にが、ちょっとした訳よっ!あたしは一部始終見てたんだからね!」

「うわっ!ちょい待ち、ね、ね、お願い!許して!」

「待ってられっか〜っ!」


パーンっと威勢のいい音がし、撩と呼ばれた男が吹っ飛んだ。

(ほんっとにもうっ。いつになったらこの癖が治るのかしら…)

憤慨する娘に、周りで観ていたおかみさん達が笑いながら声をかける。


「ちょっと、香ちゃん。あんた達も懲りないねぇ。毎日毎日おんなじ事を繰り返してさぁ」

「ほんとほんと。仲がいいんだか、悪いんだか、わかりゃしないよね。まったく」

「さっさとくっついちゃえばいいんだよ!そうすりゃ、あんたの色香に参って

あの男もおとなしくなるってものさ」

「そうだよ、そうだよ。祝言はあたいたちが仕切ってあげるからね」


そう言って可笑しそうにゲラゲラと笑う。


「お、おばちゃん達!何言っているの?」


顔を赤らめながら香が叫んだ。


「いいって、いいって、照れなくてさ。あんたも兄さんが亡くなってから、

あの男の面倒をよく看ているよ。偉いもんだよ、ねぇ」

「そうそう、香ちゃんがお嫁に行けば、秀ちゃんもあの世で喜ぶってものさ」

「でも、あの、遊び人の撩さんに嫁がせるのはちょっと…。ねぇ」

「まぁ、でも香ちゃんなら大丈夫。うまく操縦して、いいおかみさんになるわよ」

「あら、私達みたいにかい?」

「そうそう、ギャハハハ!!」

 


賑やかな一陣を残して、香は撩の住む長屋へ向かった。


(まったく、おばちゃん達ったら…。あたし達を完全におもちゃにしているわ。

それもこれも、みんなあいつのせい)


そうプンプンと怒りながらも、心の奥では恥ずかしい嬉しさがあるのも事実だ。

用心棒をしていた兄が三年前に死んでから、

幼なじみで仕事仲間だった撩が同じ長屋に引っ越してきてくれたのだ。

何かと不安だったが、撩がいてくれたお陰で

兄さんのいない寂しさを紛らわすことができた。


(…そう、今のあたしには撩との生活がすべて。

この生活がなかったら、撩がいなかったら、三年前に兄貴の後を追っていたわ)


暗くなってしまいそうな気分を振り払うかのように、

香は自分の両手で顔をパンパン、っと軽くたたき、

長屋の戸を勢い良く開けて中へ入って行った。

 

 

 

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