続・お江戸始末屋騒動




<其の壱>




小鳥のさえずりが聞こえる、うららかな春の朝。




「あ〜。気持ちいい。今日は暖かくなりそうね」


大きな伸びをしてから長屋の前の通りを掃き始めた香に、初老の男が声をかけてきた。


「香ちゃん、相変わらず元気そうだねぇ」

「あら、木村屋のおじさん、久しぶり。ま、元気だけがあたしの取り得だからね」

「そうかい、そうかい。そりゃ何よりだ」


皺だらけの顔で笑いながら相槌を打っている。

木村屋とは、長屋の近くにある置屋の屋号だ。

粋な姐さんが多くて、江戸でも一ニを争う程の人気の置屋である。


「ところで、撩ちゃんはいるかね?」

「うん。まだ寝ていると思うけどね。 何か用?」

「いやぁ、ちょいとばかり仕事を頼みたくってねぇ」


仕事、と聞くなり香は嬉しそうな声をあげた。

何せ、もう三月も仕事らしい仕事がなく、食料も底をつきそうなのだ。


「い、今起こすから。ちょ、ちょっと待っててね。ねっ」


どもりながら慌てて長屋へ駆け込み、撩之助の部屋の戸を勢いよく開いた。


「撩!!撩ったらっ!起きてよ!」


「・・う、う〜ん・・。もうちょっと寝かせてくれよぉ。撩ちゃん昨日は遅かったのらぁ・・」


だらしなくヨダレを垂らしながら蒲団を抱えこむ撩之助だったが、

香は有無を言わさず乱暴にその蒲団を剥ぎ取った。


「仕事よっ!早く起きて! ねぇったら!」

「・・ったく…。人の眠りを邪魔すんなっつうの!!」


そう言いながらも渋々起きだした撩之助の背中を、香は半ば押しやりながら戻っていった。

 

 



「撩ちゃん、悪いねぇ。朝早くから」


縁台に腰をかけて美味そうに煙草をふかしながら、木村屋は気の毒そうに言った。


「ふぁ〜。何だよ、木村屋のおやっさんか。どした?」

「いやね、撩ちゃんに用心棒を頼みたいのさ。うちの店の」

「何?!!」「ええ?!!」


撩之助と香は同時に声を上げる。


「お、おじさん、何を言ってるの?正気?」

「うるさいっ!香は黙ってろ! はいはい、引き受けますよぉ〜。

撩ちゃん、男の依頼は受けないんだけど、木村屋のおやっさんは特別だよ! 

何だって引き受けちゃうからねぇ」

「おじさんっ!撩に置屋の用心棒だなんて! 狼を放つようなものよ!」

「おまえなぁ、…今はどんな依頼も受けなきゃならない非常事態だろ?違うかぁ?」

「・・うっ」


それを言われると何も言い返せない。撩之助の魂胆は判りきっているのだが…。

撩之助は ふっ、と笑うと真面目な顔を香に近づけ、囁いた。


「俺だって、家計の事を第一に考えているんだぜ。香に少しでも楽をさせてやろうと…」

「…はいはい、あんたの言いたいことは判りましたよ。まったく…」


香は渋々と肯定したが、撩之助の邪な考えは手に取るように判る。

撩之助は(やった!)と満面の笑みを浮かべ、木村屋にむかって大きく頷いた。

木村屋はそんな二人を見て、笑いながら頷き返す。


「ははは。相変わらず仲がいいねぇ。夫婦喧嘩もほどほどにな」

「な、何言ってんのよ。あたしと撩はそんなんじゃないわ!」


香は顔を真っ赤にして反論する。慌てて取り繕う様が妙に可笑しい。


(あ〜あ、ムキになっちゃって、香の奴)


撩之助は苦笑いを浮かべて頭をボリボリと掻いた。


「おやっさん、いいから話の続きをしてくれよ。」

「すまんねぇ。

…実はね、うちに限った事じゃないんだが、江戸中の置屋で覗きが出没しているんだよ。」

「覗き?」

「へぇ〜。世の中にはどっかの誰かさんみたいなスケベがいるのねぇ。

…もしかして、覗いているのはあんたじゃないの?」


香が横目で撩之助を睨みながら口を挟んだ。


「お前なぁ…。そりゃ、男としては覗きたい気持ちはよ〜〜くわかるが、俺がやると思うのか?」

「はんっ。どうだか…」

「ったく…。少しは信用しろっつうの。 で?」

「いやさ、それがね。覗かれるのは決まって風呂場だけなんだよね。」


撩之助の目が嬉しそうにキラリンっと光る。香はそれを見逃さない。


「もう、姐さんたちも湯浴みをするのを嫌がっちゃってさ。ほとほと困っているんだよ」

「いつ頃からだい?」

「そうさね、このひと月ばかりかな。うちに出たのはここ数日なんだけどね。

撩ちゃんが用心棒をやって犯人をとっ捕まえてくれれば、みんな安心できるし、

商売も繁盛っていうもんさ」

(おじさん、それは大間違いだと思うわよっ!)


香の心の叫びは木村屋には聞こえない。

撩は、と横目で見るとニタニタと笑いながら話を聞いている。

そしてすっくと立ち上がると、

「わっかりました!引き受けましょう! では今夜から早速〜」

なんて、安請け合いをしている。


「やっぱり撩ちゃんは頼もしいねぇ。んじゃ、頼んだよ」

「ところで、おやっさん。依頼料のことだけど…」

「ははは、わかってるよ。香ちゃんにはナイショでこれでどうだい?」


木村屋は小声で囁くと三本指を立てた。


「さっすがおやっさん。話が早いや」


二人でコソコソと何やら相談する。


「…誰に内緒ですってぇ〜?」


後ろの殺気に二人が恐る恐る振り返ると、目が逆三角形になった香が震えながら立っていた。


「ひっ!か、かお・りちゃん、き、聞いてたの?」

「あんたのことだから、どうせ置屋の出入自由券三枚とか言ってんでしょ?」

「ど、どうして、そ・・それを・・?」

「わからいでか〜!!」


木槌で遥か遠くまで飛ばされた撩之助を見て、木村屋は引きつりながら

「か、香ちゃん、じょ、冗談だよ。やだねぇ。きちんと銭は払いますって。ね、ね」

と言うなり、あたふたと逃げ出して行った。






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