続・お江戸始末屋騒動
<其の参> 診療所を後にした撩之助は、その娘を取り上げたという産婆の家を訪ねることにした。 お冴から聞いた住処へ行くと、痩せた小さな老婆一人がいるだけだった。
「邪魔するよ。ばあさん」 「なんじゃ、お前さんは」
無粋に入ってきた撩之助を咎めるように、しゃがれた声が返ってきた。
「ちょっと、聞きてぇことがあってな」 「…まぁ、入るがいい」
老婆は、渋々ながらも撩之助を中へと招いた。 質素な家の中は、老婆の一人暮らしが長いことを物語っていた。 撩之助は突然で申し訳ないが、と切り出し、二十年前のことについて尋ねた。
「…で、婆さんは本当に、お京さんが産んだ娘をどこに預けたのかは知らないんだな」 「知らぬと何度も言っておるじゃろう。しつこいぞ」 「そうか…」 「…どうしてそんなことを知りたいんじゃ? お前さんには関係のない話じゃろう。 わざわざ、そんな怪しげな人探しに首を突っ込まなくとも…」
憮然とした顔で撩之助を見やる。
「俺だって好きでやっているわけじゃないだぜ。世間でいうところの人情、愛情云々っていう奴には まったく興味がないんだ。けどな…。罪もない、何も知らない娘を狙うっていうのが気に食わないのさ。 婆さんには信じられないかもしれないが、な」
撩之助の話を聞くと、老婆の顔つきがやや変化した。
「そうか…。そうだったのか…。まったく、世も末よのぉ」
大きなため息をつきながら小さく呟く。 その眼には深い悲しみが表れていた。
「実の娘を手に掛ける、か」 「…婆さん…」 「これじゃ、お京も浮かばれまいて。…お前さん、本当にあの娘を助けてくれるかい?」 「あぁ。…ひょっとして、何か知っているのか?」 「最終的に誰に預けたのかは判らぬ。じゃが、お京が慕っていたお方なら…」 「お京さんが慕っていた?」 「ああ。お京とは長いこと手紙をやりとりしていたそうだから、そのお方なら何か存じているはずじゃ。 もう何年も前に亡くなったはずじゃが、探せばきっと…」 「…誰なんだ、そいつは」 「雲海寺の、先代の住職じゃよ」
撩之助の背中を冷たいものが走る。
「…まさか、…そんな…」
思わず立ち上がる。
(…香が?!)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 香の兄と幼なじみだった俺は、その兄が死ぬ前に、香の出生について聞かされていた。 ある女が育てられなくなった娘を、雲海寺の住職を通して檀家だった槇村家が引き取った、と。 女の子が欲しかった両親は、実の娘のように大切に香を育ててくれた、と。 もちろん、香は何も知らない。槇村夫婦が亡くなった後は、兄を唯一の肉親と信じていた。 あいつは、俺に香を託して逝った。 もしも、俺の想像が当たっていたら、 俺はどうすれば…。 そして香は…。 お冴の話だと、依頼主は品川の太田家当主、太田健蔵だということだ。 昔からの、由緒正しい商家のはず…。 これはちょっと調べてみる必要があるな…。だが…。 香に事実を伝えるべきだろうか。 実の父親が生きていると? そしてお前の命を狙っていると? …言えるわけがない。 香の悲しむ顔はもう見たくない。 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞ カン、カン、カン・・ 遠くで鐘楼の音が聞こえる。
(火事か?)
撩之助は蒲団の中で耳を澄ます。外が騒がしくなった。
(…近いな)
ガバリと起き上がり表通りへ飛び出すと、北の空が赤く染まっていた。
(雲海寺の方向だ)
いやな予感がする。 野次馬が何人か走っていくのが見える。 後を追うように撩之助も走り出した。
…そして予感は的中した。
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